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山田耕筰の補筆完成に寄せて

2022/10/28

ついに明日に迫りました、「知られざる山田耕筰のピアノ音楽」について、少し思うところを描いてみようかな、と思います。

山田耕筰は私のいた小学校の音楽室の後ろの肖像にある唯一の日本人ということで非常に印象に残っている作曲家です。とはいえ知っている曲といえば、「赤とんぼ」「からたちの花」「待ちぼうけ」といった数少ない童謡くらいしかなく、今回のこの機会で本格的に勉強を始めることになります。

山田耕筰の音楽を聴いて、切っても切り離せないと感じた二人の作曲家がいます。ショパンとスクリャービンです。特にスクリャービンに関しては中期の「ピアノソナタ5番」や「法悦の詩」などから強く影響を受けていることがはっきりとわかります。これらが1907〜1908年に書かれた曲で、山田耕筰がドイツに1910年に留学していることを考えると、山田耕筰ははっきりと世界の最先端の音楽を取り入れ、そしてそれを身につけていた、ということでしょう。

とはいえ、山田耕筰自身もはっきりとした個性を持っている人で、スクリャービンのコピーを目指したわけではないこともよく伝わってきます。私自身の経験の話になりますが、あまりにもある作曲家への尊敬が強すぎてしまうと、コピーを作りたいという気持ちと、コピーから脱したいという気持ちがせめぎ合い、結果的に自分の思うようにいかない曲ができてしまうことがあります。今回の山田耕筰の未完の作品にはそのような背景があったのではないか、と思いました。

これは、山田耕筰の未完の作品のソナタ・エクスタジア、つまり「法悦のソナタ」ですが、堂々とした序奏と壮大なテーマは楽譜を見ただけでも伝わってくるものであり、相当な大作を作曲しようとしていたことが見て取れます。しかし、これはわずか3ページを残すのみで未完となっています。

補筆完成にあたって、ここまで山田耕筰が書いた音符や記号を一とつたりとも逃さないように写していく作業を行いました。これは非常に興味深い作業で、音符を移すごとに山田耕筰の頭の中を覗いているようなのです。

複雑な響きが欲しくて探した音や、ピアノの効果を最大限引き出すために苦心した音、そして何よりもスクリャービンへの憧れ、そのようなものがはっきりと伝わってきました。そして、アイディアを広げすぎて、これをどう収集をつけるのだろう、と思ったところで、筆は終わっていました。もし私がこの曲を作曲する立場だったとしても、同じ場所で筆を投げていたかもしれません。

そのような思考のシンクロが楽しかった一方、筆を終えるのが理解できてしまうさらにその次を書くというのは並大抵ではないインスピレーションと集中力を必要としました。山田耕筰ほどの天才作曲家が、この先には財宝は無いと判断して引き返した道を、わざわざ歩いていかなければいけなかったからです。

いずれにしても、偉大な作曲家との時代を超えた対話をすることができたことは、非常に良い経験になりました。