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バラード1番への思い出

2022/11/11

11月末から12月頭にかけて、PARERO SAXOPHONE QUARTETにて私の、ショパンの「バラード1番」の編曲が演奏されることは、以前の記事にも書きました。その時の記事は、編曲をする時にどのようなことを考えているか、ということが主だったのですが、今回は「バラード1番」にとの出会いについて語っていこうと思います。

この曲は古今東西全ての曲の中で、私にとって最も思い入れが深い曲です。2002年4月13日土曜日に行われたピアノ教室の発表会で「バラード1番」を演奏したからです。全音から出ているショパン・ピアノアルバムという曲の後半にこの「バラード1番」が載っており、2001年の夏にたまたまこのページを開いて、初見をしてみよう!と思ったものでした。

当時小学生だった私は、一つのジンクスを持っていました。

「初見で最後まで弾き通すことができた曲は、いずれ完成させることができる」

いかにも小学生が考えそうなおまじないでしたが、初めて出会ったこの曲をものすごくゆっくり、振り返ることもせず、終わりがどこにあるかも考えずに弾き続けたのです。

その時の記憶は断片的ですが、昼頃から始めて、外は明るく太陽が庭を照らしていて、母が家事をしている日曜日ではなかったかと思います。弾いても弾いても、終わりは見えません。音が多く、複雑で、拍子もわからなければ、音と音のつながりも見えてきません。ただ、鮮烈に覚えている記憶、それが、この和音です。

「何だこれは!」という衝撃を受けました。幼い頃から変な音符マニアであった私は、いろんな音符を自作してはいましたが、それにしてもこれには衝撃を受けました。

母は庭で洗濯物を取り込んでいる最中だったのですが、ここではさすがに演奏をストップして、「お母さん!これ見て!」と庭に駆け出して行ったものです。そこでどういう反応をもらったかまでは覚えていないのですが・・・。

ここまで来れば曲の2/3は弾いたようなものですが、まだまだ続きます。こんこんと読み続けていって、最後まで弾き通すことができました。何時間かかったのでしょうか、もちろん曲の体は一切なしていなかったでしょうが、とにかく弾き通すことができたのです。

この曲を仕上げてみたい、と強く思いました。

ピアノの先生のところに持っていくと、「8ヶ月後の発表会に向けて練習してみる?」という提案をくださいました。8ヶ月でこんな曲が弾けるようになるのだろうか、と半信半疑でしたが、とにかく弾いてみたい、この曲がどんな曲なのか知ってみたい、と思いました。

早速母はバラード1番が収録されているCDを8枚買ってきました。

特に記憶に残っているのがホロヴィッツの晩年の録音でした。ミスタッチをものともしない圧倒的な迫力に、笑みが溢れてしまいながらも、世界にはこんなピアノもあるのか、と思ったものです。

さて、何枚もCDを聴いていると、楽譜と異なる部分があることがわかってきます。まずは、この箇所。

全音のショパン・ピアノアルバムも、この和音になっていました。ただし、注意書きに、「DがEsの版もある」とありました。当時「Es」が何を表しているかもわからなかったのですが、ドがCである、という知識から、Eはミだろう。sは何のことかわからないな・・・と思いながら、ミとミ♭両方で試してみて、圧倒的にミ♭が良い!と思ったので、ミ♭の方を採用しました。CDで聴いていた記憶も残っていたのかもしれません。

そして、もう一箇所楽譜とCDで異なる場所がありました。それがこの箇所です。

図の1小節目の6音め、これがCDだとEsで弾いているのが多数派でした。そして、私はこのEsの響きに憧れていました。なんて透き通って、そして明るい和音で、暗く痛々しい響きがするのだろう、と。そして、このEsの音が大好きになったのです。

なぜこのEsの音がこれほどまでに素晴らしいのか、それは大学一年生の時にふと解決するのですが(これに関してはいずれ解説記事を書きたいところです)、当時は闇雲にこの響きに憧れていました。そして、別の箇所でも私は音を変更して弾くことにしました。

この1小節目の8音目のAはBで弾けば同じように透き通った音が鳴るではないか!と。一方で、この箇所にこれほど効果の強い和音を使うのは、勿体無いような気もしていました。ただ、当時の私は何度もAとBで比較し、やはりBの響きは捨て難いと思ってBで弾くことにしたのです。

発表会でどのような演奏をしたのかは覚えていません。ただ、8ヶ月でこの曲を弾くことができたんだ、とということはとてつもない自信になったとともに、8ヶ月の努力がたった8分で終わってしまったことに対する寂しさもまた感じていました。ピアノというのはなんて儚いものなのだろうか、と。

ただ、この曲をこの時に弾いたということは、人生で大切な宝物になったと思います。そして、発表会を聞いた祖父がご褒美としてグランドピアノを買ってくれました。そのグランドピアノは今この記事を書いている私のすぐ横にあることを思うと、この8ヶ月の努力は8分どころか、今後80年を作るほどのものだったのではないかと思います。